社会科学基礎論研究会年報社会科学基礎論研究第3号
特集論文●〈危機の時代〉の行為論

危機としての生活世界──シュッツの“discrepancy”概念──

浜日出夫
1.ウェーバー・パーソンズ・シュッツ
(1) シュッツのウェーバー批判
(2) シュッツのパーソンズ批判
2.シュッツの危機認識
(1) 学問の危機
(2) “discrepancy”
3.危機としての生活世界
4.「傘がない」
キーワード:
生活世界、現象学的社会学、自然的態度の構成的現象学、行為理論、秩序問題、理念型、動機、主観的観点、危機、ナチズム
書誌情報:
『年報社会科学基礎論研究』第3号(2004)、ハーベスト社、pp.046-062

過ぎ去った事柄を歴史的なものとして明確に言表するとは、それを〈実際にあった通りに〉認識することではなく、危機の瞬間にひらめくような想起を捉えることを謂う。歴史的唯物論にとっては、危機の瞬間において歴史的主体に思いがけず立ち現われてくる、そのような過去のイメージを確保することこそが重要なのだ。[Benjamin, 1971=1995: 649]

 本稿では、まずはじめに、ウェーバーとパーソンズに対してシュッツが行なった批判を整理する。つづいて、この批判の背景にあったシュッツの危機認識を、シュッツによる "discrepancy" という言葉の用例に注目しながら考察する。このことを通して、かつて下田直春が「何と長閑な平和な世界であることか」[下田,1978: 120]1と皮肉混じりに嘆息したような生活世界像とは異なる、さまざまな亀裂が走り、不一致と食い違いに満ちた、危機としての生活世界像を、シュッツから取り出すことが本稿のねらいである。

 1960年代から70年代にかけての「アンチ・パーソンズ」の時代には、シュッツの社会学は、パーソンズ批判という文脈のなかで、ある意味で外側からそのアクチュアリティを保証されていた。しかし、その後「ポスト・パーソンズ」の時代へと移るにつれ、シュッツ社会学は、ひとつにはその成果がハーバマス、ブルデュー、ギデンズらの統合的な社会学理論のなかに回収されていったことによって、あるいは単純に読まれなくなったことによって、そのアクチュアリティをしだいに失っていった[西原,1998]。本稿は、シュッツの生活世 界像を再検討することを通して、「アンチ・パーソンズ」の時代には十分に明確にされないまま自明視され、その後、見失われていったシュッツ社会学のアクチュアリティの所在を再確認し、その回復をめざすものである。本稿がめざすのは、シュッツを「歴史化」すること、すなわち──ベンヤミンの言葉を借りれば線シュッツを〈実際にあった通りに〉認識することではなく、シュッツを「現在化」すること、すなわち危機の瞬間にひらめくようなイメージとして、シュッツを取り戻すことである。

 まず、ウェーバーとパーソンズに対するシュッツの批判をかんたんにおさらいしておこう。

1.ウェーバー・パーソンズ・シュッツ

(1) シュッツのウェーバー批判

 シュッツのウェーバー批判は、『社会的世界の意味構成』のなかの次の文章に要約されている。

彼[ウェーバー]は、世界一般が、したがってまた社会的世界の意味的現象が、素朴にも間主観的に一致するものとして仮定することで満足している。[Schütz, 1932=1982: 20]

 シュッツがここで問題としているのは、ウェーバーが、行為者の主観的意味と、それをとらえるために社会学者が構成する理念型の関係を明確にしないであいまいなままに放置しているということである。それは、たとえばウェーバーが『社会学の根本概念』のなかで、「動機」を、「行為者自身や観察者が或る行動の当然の理由と考えるような意味連関」[Weber, 1922=1972: 19]と定義しているところに典型的に現われている。ウェーバーは、この定義のなかで、シュッツにとっては明確に区別されるべき「行為者自身がある行動の当然の理由と考えるような意味連関」と「観察者がある行動の当然の理由と考えるような意味連関」を、両者の関係についてそれ以上述べることなく、無造作に併置して いる。

 これに対して、シュッツは、『社会的世界の意味構成』において、「主観的意味連関についての科学はいかにして可能なのか」[Schütz, 1932=1982: 311]という問いを明示的に立て、行為者の主観的意味連関とそれを理解するために社会学者が構成する理念型の関係そのものを主題化する。だが、この問いは、論理上、科学によっては、したがって理念型を構成することによっては、答えられない問いである。それは、理念型の構成に先立ってなされる、主観的意味連関についての解明を必要としている。そして、この要請に応えるためにシュッツが構想したのが、主観的意味連関の構成を行為者自身が反省を通して解明する「自然的態度の構成的現象学」であった[浜,1990]

 すでに那須壽[那須,1997]や西原和久[西原,1998]によって指摘されている通り、このシュッツのウェーバー批判は、学問の危機に対するフッサールの批判と並行するものであった。フッサールによれば、「学問の『危機』は、学問が生に対する意義を喪失した」[Husserl, 1954=1974: 16]ところにある。すなわち、ガリレイによる「自然の数学化」の結果として生まれた数学と数学的自然科学という「理念の衣」が、生活世界と取り違えられ、それを隠蔽してしまったことによって、学問とその意味基底である生活世界の関係が見失われたことから、学問の危機は生じているのである。

 シュッツのウェーバーに対する批判は、数学的自然科学に対するフッサールの批判を社会科学の領域で展開したものであると考えることができる[吉澤,2002: 19]。すなわち、シュッツの批判は、主観的意味を理解するために社会学者が構成する理念型という「理念の衣」が、行為者の主観的意味と取り違えられ、それを隠蔽してしまうところに向けられているのである。シュッツは、これに対して、科学以前の生活世界における主観的意味連関の構成を解明することによって、生活世界と理念型の関係を視野に回復しようとする。

(2) シュッツのパーソンズ批判

 シュッツは、1940年から41年にかけて、パーソンズとの間で手紙をやりとりして論争を行なった[Grathoff, ed., 1978=1980]。この論争におけるシュッツ のパーソンズに対する批判は以下の4点に整理することができる[浜,1989]

[1]「事実」の定義

 まず第1に、シュッツはパーソンズの「事実」の定義を批判する。パーソンズは、『社会的行為の構造』において、「事実」を「概念図式を用いてなされた現象に関する経験的に検証可能な言明」[Parsons, 1937=1976: 74]と定義している。この定義によれば、事実とは、概念図式を用いて科学者が構成するものなのである。シュッツはこの定義を「危険」[Grathoff, ed., 1978=1980: 73]なものであると言う。シュッツによれば、社会的事実は、社会科学者による構成に先立って、すでに行為者によって一次的に構成されているのであり、社会科学者による概念図式を用いた構成は「二次的な構成」にすぎないのである。パーソンズによる「事実」の定義は、この社会的事実に特有の構成様式を隠蔽してしまう点で「危険」なものであったのである。この批判は、シュッツがウェーバーに対して行なった批判とちょうどパラレルである。

[2] 主観的観点

 ふたつめの、そしてこの論争におけるもっとも中心的な論点は「主観的観点」をめぐるものであった。パーソンズは、『社会的行為の構造』において、行為理論は主観的観点をとらなければならないことを認めている。

[行為]図式の準拠枠は、ある特殊な意味において、主観的である。つまりこの準拠枠が取り扱っているものは、その行為が分析され考察されている行為者の観点からみて、現出しているような現象—事物や事象—である。[Parsons, 1937=1976: 81]

 これに対して、シュッツは次のように批判する。

行為の理論というのは主観的観点がとりいれられなければ無意味であることを、パーソンズ教授は正しく洞察している。だが彼はこの原理の根源をつきつめていない。彼は行為者の心のなかの主観的諸事象を、観察者だけに接近できるその事象の解釈図式ととり違え、したがって主観的現象の解釈のための客観的図式とこの主観的現象自体とを混同してしまっている。[Grathoff, ed., 1978=1980: 109-110]

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  1. 「シュッツの言う日常生活世界とは、何と長閑な平和な世界であることか。そこには、シュッツの言う意味での常識的知識を共有してはいながらも、お互いの利害関係の対立によって争う人びとの姿はどこにもなく、また世界観の対立によって理念的葛藤に日夜明け暮れ、場合によっては殺しあいまでするような先鋭なる人びとの争う姿も見当らない。」[下田,1978: 120-121]→戻る

文献

Benjamin, W.
1971 "Geschichtsphilosophische Thesen," Zur Kritik der Gewalt und andere Aufsätze, Suhrkamp, 78-94. = 1995 「歴史の概念について」,浅井健二郎編訳, 久保哲司訳 『ベンヤミン・コレクション1』ちくま学芸文庫643-665.
Garfinkel, H.
1963 "A Conception of, and Experiments with, "Trust" as a Condition of Stable Concerted Actions," Harvey, O.J., ed., Motivation and Social Interaction, Ronald Press, 187-238.
Gouldner, A. W.
1971 The Coming Crisis of Western Sociology, Heinemann. = 1974 岡田直之・田中義久訳 『社会学の再生を求めて1』新曜社.
Grathoff, R. ed.
1978 The Theory of Social Action: The Correspondence of Alfred Schutz and Talcott Parsons, Indiana University Press. = 1980 佐藤嘉一訳 『A.シュッツ=T.パーソンズ往復書簡 社会理論の構成』木鐸社.
Grathoff, R. hrsg.
1985 Alfred Schütz Aron Gurwitsch Briefwechsel 1939-1959, Wilhelm Fink Verlag.= 1996 佐藤嘉一訳 『 亡命の哲学者たち アルフレッド・シュッツ/アロン・グールヴィッチ往復書簡 1939 〜 1959』木鐸社.
浜日出夫
1989 「シュッツ=パーソンズ論争」,『社会学ジャーナル』14 筑波大学社会学研究室 47-57.
1990 「シュッツの哲学と社会学」,徳永恂・鈴木広編 『現代社会学群像』恒星社厚生閣 55-67.
1995 「エスノメソドロジーと『羅生門問題』」,『社会学ジャーナル』20 筑波大学社会学研究室 103-112.
Husserl, E.
1954 Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie, Husserliana Bd.VI, Martinus Nijhoff = 1974 細谷恒夫・木田元訳 『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中央公論社.
森元孝
1995 『アルフレート・シュッツのウィーン』新評論.
那須壽
1997 『現象学的社会学への道』恒星社厚生閣.
西原和久
1998 『意味の社会学』弘文堂.
Parsons, T.
1937 The Structure of Social Action, McGraw-Hill. [vol.1, Free Press, 1968] =1976 稲上毅・厚東洋輔訳 『社会的行為の構造1』木鐸社.
Schütz, A.
1932 Der sinnhafte Aufbau der sozialen Welt, Springer. [Suhrkamp, 1974] = 1982佐藤嘉一訳 『社会的世界の意味構成』木鐸社.
Schütz, A.
1962 Collected Papers I, Nijhoff. = 1983 渡部光・那須壽・西原和久訳 『アルフレッド・シュッツ著作集 第1巻』マルジュ社: 1985 渡部光・那須壽・西原和久訳 『アルフレッド・シュッツ著作集 第2巻』マルジュ社.
1964 Collected Papers II, Nijhoff. = 1991 渡部光・那須壽・西原和久訳 『アルフレッド・シュッツ著作集 第3巻』マルジュ社.
1970 Reflections on the Problem of Relevance, Yale University Press. = 1996 那須壽・浜日出夫・今井千恵・入江正勝訳 『生活世界の構成』マルジュ社.
下田直春
1978 『社会学的思考の基礎』新泉社.
竹田青嗣
1986=1999『陽水の快楽』ちくま文庫.
Weber, M.
1922 "Soziologische Grundbegriffe," Wirtschaft und Gesellschaft, J.C.B.Mohr. =1972 清水幾太郎訳 『社会学の根本概念』岩波文庫.
吉澤夏子
2002 『世界の儚さの社会学』勁草書房.
油井清光
2002 『パーソンズと社会学理論の現在』世界思想社.
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