社会科学基礎論研究会年報社会科学基礎論研究第2号
特集論文●社会調査の知識社会学

社会調査論のパラダイム転換と社会調査のリアリティ──社会調査の知識社会学へ向けて──

井出裕久
1.社会調査のリアリティと社会調査の知識社会学
2.戦前型と現代型の社会調査論
3.戦前型から現代型へのパラダイム転換
(1) 戦前型3類型から現代型2類型への転換
(2) 質的調査の貶価
4.社会調査の知識社会学へ向けて
キーワード:
社会調査のリアリティ 社会調査の知識社会学 社会調査論 福武直 統計的方法 事例研究法 量的調査 質的調査 古典的調査類型 信憑性構造 社会調査論のパラダイム転換
書誌情報:
『年報社会科学基礎論研究』第2号(2003)、ハーベスト社、pp.061-077

1.社会調査のリアリティと社会調査の知識社会学

 社会調査の現況に、質的調査法の復権がみられる。それは、1990年代とくにその半ば以降、「フィールドワーク」「ライフヒストリー」などの書名をもつ書籍が相次いで出版されていることをみても明らかだろう。このことの意味は大きい。ながく二次的な位置を与えられてきた質的調査法の復権は、これまでの社会調査理解の変更を意味しているからである。そこには、社会調査の従来のリアリティ──「もっともらしい(plausible)と感じる現実規定」[Berger & Kellner, 1981=1987 :87]──の動揺と新しいリアリティの生成がみられる。
 だが、急いでいくつかの留保を付け加えなければならない。まず、質的調査法・量的調査法あるいは事例研究法・統計的調査法といった対立自体は、基本的に従来の社会調査理解によるものである。この二分法を前提とする社会調査論の再考を課題とする私たちにとって、質的・量的といった用語の使用は、便宜的なものである。そのうえで、社会調査の現況に関しては、つぎの点を強調しておきたい。第1に、この二分法については、それを「無意味なものとして切断する方向」[佐藤,1996: 12]の提起や、単純な分類の弊害と類型自体の「風化」[高坂・与謝野,1998: 209]の指摘がすでにある。しかし、「量」から「質」へと研究の歩みを「実際に進」めたある社会学者は、そうした指摘に「同意」していても、両者の「『国境』には深い谷があって、危なげな橋が架かっている」[吉川,2001: 110]ともらしている。この述懐が示唆しているのは、質的・量的という二分法の身体化である。第2に、社会調査という社会的相互行為は、自明視され、社会学的な検討の対象とはされてこなかった。1980年代以降の「パラダイム多元主義」やその「傾向性」としての「社会的リアリティが間主観的に構成された意味からできあがっているという主張」[塩原,1998: 11]が指摘された社会学理論は、社会調査とは無縁であった。たしかに、その傾向性を反映した近年の質的調査に関する著作においては、その社会学的なまなざしが自らの「フィールドワークの経験」[好井・桜井,2000]や「インタビュー」[桜井,2002]にも向けられている。しかし、それは量的調査には及ばない。つまり、社会学には「奇妙な棲み分け」[井出・張江,1998: 190]が成立している。第3に、質的調査の復権がみられ、また第1でみた指摘があるにもかかわらず、「社会調査」としては、「質問紙を用いた統計調査法」が「社会学のみならず、諸社会科学や世間一般に汎用されている」[中道,1997: 8]という了解のもとに、多くの社会調査論が質的・量的の二分法にもとづいて展開されている1。こうして社会調査は、あたかも自動機械のごとくに稼動しつづけている。これがわが国における社会調査の現況である。
 このような認識のもとに私たちは、かつて、質・量の二分法的理解にもとづく従来の社会調査論の一貫した構えを取り出し、「統計的方法は〈客観的〉か」と問うた。「どのような意味でも、方法の明示化=標準化をもって、統計的方法の〈客観性〉は主張できない」[井出・張江,1998: 217]。これが、その問いへの回答であった。その際に、残された課題の1つとして、「〈社会調査への信頼〉が社会的に形成される過程を歴史的に遡及する作業」を掲げ、それを「社会調査の知識社会学」と呼んだ[井出・張江,1998: 220-221]。この〈社会調査への信頼〉を社会調査のリアリティといってもおなじである。この社会調査の知識社会学の必要性を具体的に例証することが、本稿の課題である。
 以下では従来の社会調査論を「現代型」と呼ぶことにしたい。そのうえで、つぎの手順によって本稿の課題に応えたい。まず、現代型の調査論とはいかなるものであり、それはいつ誕生したのかを、佐藤健二の論考[1996]を参照しながら確認する。この作業によって、現代型の調査論の特質と同時に、現代型以前の調査論—戦前型—のそれが明らかにされる。つぎに、調査論の戦前型から現代型への転換において行なわれたことの内実を、当時の社会調査論に内在して検討する。具体的には、この転換には論理的には説明できない大きな飛躍が存在することを明らかにする。このことによって、従来の社会調査論を十全に吟味するためには、その内的地平に関する方法論的議論だけでは不十分であること、つまり、社会調査のリアリティを主題化する、社会調査論の外的地平をも視野にいれた社会調査の知識社会学が不可欠であることを主張したい。
 このような目的と手順から推測されるように、本稿で行なう課題遂行は、方法論的議論だけでは不十分であるという、いわば不在証明である。しかし、これが社会調査の知識社会学へと向うための不可欠の前梯的作業であると考える。

2.戦前型と現代型の社会調査論

社会科学の諸領域は、社会事象の理解を基本的な共通の目的としている。……そうした一見混沌とした社会事象を定量的あるいは定性的に認識する最も基本的で有効な手段が社会調査である。[岩永・大塚・高橋編,2001: 10]

 これは、「社会調査の基礎」を講じた教科書の第1章の冒頭部分である。この引用では、社会調査による社会事象の認識のあり方が「定量的」と「定性的」の2つに分けられることが、自明のこととされている。それは、この言説が「量的調査」と「質的調査」という社会調査の類型を前提としているからである。ここに端的にみられるように、社会調査法を量的調査法と質的調査法あるいは統計調査法と事例研究法との2つに峻別し、さらには前者は「客観的」で後者は「主観的」であるとする対蹠的な把握は、戦後日本の社会調査の世界においてながく「常識」であった[井出・張江,1989: 3]。佐藤が指摘するように、「2つを対称させ、大文字化された分類枠とするスタイルは、現在の日本の社会調査論に共通の骨格を構成している」[佐藤,1996: 6]2のである。このような二分法を特徴とするのが現代型の社会調査論である。
 では、この現代型の調査論はいつ誕生したのだろうか。この検討を、佐藤の周到な分析を参照しながら、戸田貞三の『社会調査』[1933]から始めたい。周知のようにこの著書は、わが国最初のそして戦後の一時期までわが国「唯一」[福武,1949: 60; 甲田,1952: 9]とされた社会調査の概説書である。戸田が、その枠組みとして採用するのは、「調査対象の範囲」[戸田,1933: 80]を基準とした分類である。「調査の方法はこれを大別すれば、一、全体調査、二、部分調査、三、個別調査の三種となる」[戸田,1933: 79 原文は旧字旧かな]。同書について佐藤は、「量的/個別的もしくは量的/記述的という対比」を採用しているが、たとえば個別的調査法の説明においても、「質的ということばが主軸にすえられてはいない」[佐藤,1996: 6-7]ことに注意を促している。
 しかしながら、「こうした3分類の説明のなかから、しだいに量的/質的という分け方が強く」なり、また、「原理的には量/質の2つに分けることが説明しやすいという発想が強くなってくる」[佐藤,1996: 7]。佐藤は、このことを、鈴木栄太郎[1938; 1948]、喜多野清一[1948]、内藤莞爾[1950]らの社会調査論からの引用を参照しながら例証するとともに、「アメリカ社会学におけるチェーピン以後の社会調査論の作用」[佐藤,1996: 8]の重要性も示唆している。こうした変化を背景に、「『量的/質的』という対立の論理的な地平は、福武直が書きおろした入門書的な教科書『社会調査』[1958]によって形式的に完成する」[佐藤,1996: 8].... →続きを読む(頒布案内)

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  1. 例外的な事例として、宝月・中道・田中・中野[1989]は、二分法の相対化を志向したとみられる。また、石川・佐藤・山田[1998]は、より積極的に新しい調査論を実現しようとしていると目される。[→戻る
  2. 後に引用するように、福武直は質・量を「対照」的に捉えているが、佐藤のこの論考におけるキーワードは両者の「対称」である。[→戻る

文献

Chapin, F. S
1920 Field Work and Social Research, The Century Co..
馬場明男
1983 『アメリカ社会学』明星大学出版部.
Berger, P. L. & H. Kellner
1981 Sociology Reinterpreted: An Essay on Method and Vocation, Anchor Press/Doubleday.=1987 森下伸也訳『社会学再考』新曜社.
福武直
1947 「我国社会学の再建のために」,『社会学研究』1巻1輯=『福武直著作集 第1巻 社会学の現代的課題・社会科学と価値判断』東京大学出版会173-196.
1949 「社会学研究法—特に社会調査法について—」,戸田貞三編 『社会学研究の栞』中文館書店47-70.
1950 「社会調査の意義と方法1・2・完」,『社会科教育』社会科教育研究社32号49-52,33号44-48,34号45-48.
1952a 「社会学の研究」,福武直・日高六郎『社会学』光文社384-400.
1952b 「社会調査の方法 上・下」,『教育』国土社No.10 88-98,No.11 86-95.
1952c 「社会調査の意義と方法」,『社会学の基本問題』東京大学出版会=増補版1963 35-74.
1953 「社会学研究法」,林惠海・白井二尚編『教養講座社会学』有斐閣244-265.
1954 「社会調査の意義と方法」,福武直編『社会調査の方法』有斐閣1-31.
1958 『社会調査』岩波書店; 補訂版1984.
1965 「社会調査」,大阪市立大学経済研究所編『経済学辞典』岩波書店564-565.
1976 『福武直著作集 別巻 社会学四十年』東京大学出版会.
宝月誠・中道實・田中滋・中野正大
1989 『社会調査』有斐閣.
井出裕久・張江洋直
1989 「統計的社会調査法は〈客観的〉か」,『日本工業大学研究報告』18-3・4 1-19.
1998 「方法と客観性」,西原和久・張江洋直・井出裕久・佐野正彦編『現象学的社会学は何を問うのか』勁草書房190-224.
石川淳志・佐藤健二・山田一成
1998 『見えないものを見る力』八千代出版.
岩永雅也・大塚雄作・高橋一男編著
2001 『改訂版社会調査の基礎』放送大学教育振興会.
吉川徹
2001 「『量』から『質』へ」,『ソシオロジ』142号105-110.
喜多野清一
1948 「社会調査の方法」,東京社会科学研究所編『社会学の方法と理論』実業之日本社161-208.
甲田和衛
1952 『標本面接調査法』文部省社会教育局.
1955 「世論調査」日高六郎編『マス・コミュニケーション講座 第5巻 現代社会とマス・コミュニケーション』河出書房77-96.
高坂健次・与謝野有紀
1998 「社会学における方法」,高坂健次・厚東洋輔編『講座社会学1 理論と方法』東京大学出版会199-238.
中道實
1997 『社会調査方法論』恒星社厚生閣.
中野卓
1981 「個人の社会学的調査研究について」,『社会学評論』有斐閣32巻1号2-12.
内藤莞爾
1950 「社会調査」,樺俊雄・阿閉吉男『社会学通論』同文館283-335.
桜井厚
2002 『インタビューの社会学』せりか書房.
佐藤健二
1996 「量的/質的方法の対立的理解について」,『日本都市社会学会年報』14号5-15.
島崎稔
1956 「社会調査の動向とその問題意識」,福武直編『日本社会学の課題』有斐閣449-471.
塩原勉
1998 「日本の社会と社会学」,高坂健次・厚東洋輔編『講座社会学 1 理論と方法』東京大学出版会1-13.
鈴木栄太郎
1938 「農村社会研究法論」,村落社会学会編『農村社会の研究方法』刀江書院1-29.
鈴木栄太郎
1948 「農村社会調査の意義と方法」,民族文化調査会編『社会調査の理論と実際』青山書院9-28.
武田良三
1954 「理論社会学」,早瀬利雄・馬場明男『現代アメリカ社会学』培風館.
戸田貞三
1933 『社会調査』時潮社.
好井裕明・桜井厚
2000 『フィールドワークの経験』せりか書房.
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