まず、本稿の基層にある問題関心を示そう。1989 年以降、世界はドラスティックに変化している。東欧・ソ連等の社会主義の崩壊は、同時に資本主義を基礎とする自由主義的な民主主義の「一人勝ち」的勝利をもたらしている。現時点では、F.フクヤマのように、この流れはしばらくは不動であろうという見方が当然視されているかのように思われる[Fukuyama, 1992]。だがそれが、合意に基づく新たな社会構想の「可能性」なのか、あるいは新たな時代の権力発動による新しい「抑圧」なのかは、にわかには判断しにくい。
90 年代、鉄のカーテンは開かれ、広範な国際化も進捗している。それはいうまでもなく、インターネットに代表されるグローバルな情報社会化と表裏一体をなしている。国際化と情報化を伴って世界の資本主義化が進展し、その事態に対応して情報やモノの交流だけでなく、ひとの交流も活発化している。主としてヨーロッパで、移民や難民、外国人労働者などの問題が市民権をめぐって大きな争点をなしつつ、同時に「多文化主義」なども大いに語られる。2002 年の英国女王即位50 周年を祝うパレードの先頭は、色とりどりの民族衣装を着た多民族が踊りながら行進し、「多文化共生」が前面に押し出されていた。
一方で、いま挙げた英国の例が旧大英帝国の名残である点は否定できないとしても、その例が今後の課題として異なった「民族」や「文化」の「共生」への模索を象徴していることは間違いない。EUの発足、しかもユーロによる統一通貨の実現は、部分的ではあれヨーロッパから発するひとつの新たな時代の幕開けであることは確かである。だが他方で同時に、現実に一部では政治的な数字となって社会的インパクトを与えつつある「ネオ・ナチ」の台頭に象徴されような、「反動」の動きもある。あるいは、「共生」とは名ばかりで、それは地域的、階層的な「棲み分け」にすぎないというシニカルな見方もできる。
さて、こうした問題関心に社会学や社会学理論はどう応接できるのであろうか。共生を謳い上げる米国や英国が、イスラム圏の一部と戦闘状態にある、あるいはその準備を進めていたという大きな問題も21 世紀の初頭の特徴的事態である。それを「文明の衝突」の時代であるといって客体視することもできる。また、文明の「衝突から対話へ」と唱えることもできる。しかし何よりもまず、こうした時代にあらためて問われなければならないのは、基底的な社会関係のあり方から、権力、制度、国家(ないし脱国家)に及ぶ一群の社会理論的問題圏であるように筆者には思われる。そこで本稿の問いは、次のようになる。すなわち、筆者が大いに関心をもってきた現象学的社会学は、これらの問題群に一体どうアプローチできるのか。本稿が論じようとするのは、そのアプローチの先行研究を検討して、現象学的社会学がこの問題群にいかなる視座から迫るのかという点を明確にすること、この一点である。
こうした問題関心に促されて、本節ではさっそく現象学的社会学の「社会理論」の視点がもつ可能性に焦点をあててみたい。ただし、現象学的社会学の視点や可能性に関しては、じつのところ筆者自身は機会あるごとに繰り返し論じてきているので、ここで詳述するつもりはない。ここではまず、現象学的社会学の「社会理論としての可能性」に絞って予備的に論じるつもりである。論点は2つである。第1に、上述のような問題関心のもとで、ミクロ社会学であるとされるような現象学的社会学の位置を再確認すること、第2に、こうした問題群にアプローチしようとするとき、現象学的社会学はどういった概念装置でそれを行うのかという点に関する基礎的視座を押さえておくこと、である。
さて、まず最初に述べておきたいことがある。上述のような、一見したところ政治的ないし国際関係的な問題関心は、だが今日、よく考えてみれば「マクロ」な問題ではないということである。多文化共生とは、いってみれば我が家の隣に「異文化」の人びとが住んでおり、学校や職場が多様な民族で構成されているといったように身近な問題でありうる。さらに、マクロな経済問題でもある通貨問題は、ユーロといった統一通貨の使用においてはまさしく日々の生活に関わる「ミクロ」な問題でもある。ここでいいたいのは、マクロにみえる大きな社会現象は、じつは我々の生活に関わっているのだから現実の自分たちの問題として考えなければならないという(なかば倫理的な)能書きではない。そうではなく、社会学においてしばしば論じられる「ミクロ−マクロ問題」とは擬似問題にすぎない、あるいは少なくとも記述の方便としての便宜的なものにすぎないという論点である。あるいは百歩譲って、ハーバーマスのいうような「部族社会」の時代であれば、国際社会はマクロな遠い世界の出来事であったかもしれないが、世界の食材が日常の食卓にも登場するような時代にあっては、ミクロとマクロは切り離しえない問題で?るということだ。
それゆえ、たとえば現象学的社会学は社会学理論上においてミクロ社会学であり、○○社会学はミクロ社会学であるというような無用なレッテル張りは、もう止めた方がよいであろう。そのそれぞれの視座に立つ社会学がいかに根本的に現実社会に迫れるのかという点でこそ競い合うべきであろう。社会学全体においても、理論系の社会学は現実を見ない言葉遊びの抽象的な空論であるとか、実証系の社会学は理論を使っているのに自らの主観性や理論性を軽視し、些末な事例や数値に幻惑された無批判で全体性を欠く思想であるといった批判合戦は、互いの切磋琢磨という意味では無意味ではないが、ときに人的、学的な交流を妨げ、場合によっては相互に排除さえもするような場として機能するとき、それが社会研究の発展にとってマイナスの効果をもつことは明らかである。
もう一点、関連事項に言及しておく。現象学が「意識哲学」だとされ、現象学的社会学が「主観主義」社会学だとされてきた点に関してである。これは有効な批判であろうか。いかに世界の食材が日々の食卓にも登場する時代だとはいえ、日常生活者がその産地の国々で生活しているわけではないし、そこに旅する機会も、時間的、空間的、経済的に限定されている。行ったこともない他国は、まさに想像でしか推し量れない「同時代者の世界」(シュッツ)である。その想像に、学校教育やマスメディア、あるいはインターネットが関与しようと、それが主観的な推量の世界であることは間違いない。意識や主観性を重視することが軽々に否定されるべきでないことは、この一点をもって例証されるであろう。
だが、以上には但し書きが必要である。主観主義のミクロな社会学として位置づけられてきた現象学的社会学はさらに、筆者がたびたび強調してきたことだが、パーソンズ批判としての20 世紀60 年代の社会学史的文脈ではとくに意義があったとしても、現象学も現象学的社会学もその後、展開を遂げている。50 年代末に亡くなったシュッツのそれまでの思索を活かしながら、それから半世紀も経とうとする現在、シュッツの議論をただ繰り返すだけでは創造的な現象学的社会学の発展の可能性は閉ざされてしまうだろう。もちろん、このことにはシュッツ研究それ自体を否定する意図は全く含まれていない。シュッツ研究と同時に、シュッツの読み直しやシュッツの当時の視点を現在的に活かしていく冒険的な研究の意義をも指摘したいだけである。そしてその際の有力な概念装置の代表が、「間主観性」と「生活世界」である。
簡潔に触れよう。現象学にとって初発の主観性への問いは、その問いの深化とともに、より基底の「間主観性」が問われてきたこと。しかも、間主観性への問いは、身体も含めた主観性への問い、つまり「間身体性」を内包する問いであること。したがって、生活世界論も、単なる日常生活の世界というだけではなく、身体的生(生命)にも配意する根源的な「生」世界論であること。そして、社会学理論としては、間身体的でもある間主観的な生活世界論は、その生成の源である相互行為論に立ち返るべきものとして、類似の視点を一部共有する他の潮流(シンボリック相互作用論、エスノメソドロジーなど)とともに展開されてきたということ、以上である([西原, 1998] 参照)。
さて、こうした展開をふまえるとすると、出発点は個人の意識ではなく、むしろ〈相互行為を柱とする間身体性をふくむ間主観的生活世界〉の問題である—ただし、こうした表現はまどろっこしいので、本稿ではこれ以降、基本的には間主観性(形容詞的には間主観的)ないしは(その論点を強調する視座として)間主観性論と表現することにする。その含意は、少なくとも3つある。(1) 意識ないし主観・主体が間主観的に構成されること、(2) 権力や制度などが間主観的に生成されること、(3) ただし、間主観性という用語を選択するのは、にもかかわらず人びとの間での主観ないし意識の問題も依然として重要であることを忘れないためであること。それは、依然として主観が社会的影響を世界に与えるという点だけではなく、さらに次の2点、すなわち生命としての我々の存在に関わる点と、意識・主観それ自体が間身体的な基礎をもつという点に論点が及ぶからである。
こうした概念装置による研究視角は、社会学が目指すべき社会理論への寄与が射程に入れられている。結論を先取りすれば、その核心は社会学が当然主題にすべき社会の生成と存立の機制の解明、これである。この点に関連して近年、興味深い試みが現象学的社会学に関連してなされているので、以下ではその試みに論及しながら考察を進めたい。
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