社会科学基礎論研究会年報社会科学基礎論研究第2号
論文

内在的理解の方法的地平とは何か──島薗進の中山みき研究再考──

寺田喜朗
    はじめに
1.内在的理解──先行研究と課題設定──
2.中山みきの「神懸かり」を巡って
3.内在的理解の前提と研究視点
4.内在的理解の方法的地平とは何か
キーワード:
内在的理解 中山みき 島薗進 新宗教研究 宗教社会学研究会 神懸かり 宗教体験 突発説 エリクソン シュッツ
書誌情報:
『年報社会科学基礎論研究』第2号(2003)、ハーベスト社、pp.150-166

はじめに

 宗教体験をいかに捉えるかは、宗教研究にとって根幹的な問題である。神秘的な体験や霊的世界との接触にまつわる出来事が、宗教の成立や信仰の維持に大きな影響を与えることは周知の事実である。これらをどのように記述し、どのように解釈するかは、非常に繊細な問題を孕んでいる。従来、宗教体験の研究は、回心論を中心として広義の宗教心理学が担当してきた。W. ジェイムズの信仰告白書や自叙伝を対象にした研究などはその古典的成果といえる。一方、日本における宗教体験に関する研究は、主に宗教人類学の立場からなされたシャーマニズム研究と主に宗教社会学の立場からなされた新宗教研究の2つの流れが牽引してきたように思われる1。本稿は、新宗教研究の流れにおいて提出された「内在的理解」というアプローチを検討する2。その際、宗教現象学や解釈学等といった特定の理論的立場から出発するのではなく3、方法を吟味する視点から、具体的な経験研究──島薗進の「中山みき研究」──を検討する作業を通して、その手法を剔出していく。この作業を踏まえ、方法論上の限界と可能性を明らかにすることが本稿の企図である。

1.内在的理解──先行研究と課題設定──

 上述した「内在的理解」とは、1970年代後半に「宗教社会学研究会(以下、宗社研と略記)(1975-1990)によって提出されたテクニカルタームである。このタームは、それまでの宗教研究──É. デュルケムの理論的影響から出発した伝統的な社会集団における祭祀組織の構造と紐帯機能を分析する研究、M. ヴェーバーのテーゼを背景に置く近代的思惟様式を用意した文化伝統を確定する研究、T. パーソンズの理論を適用して社会の機能分化と世俗化を分析する研究等──を「外在的」で「社会還元主義的」だと批判する構図で提出されている4
 ただし、この内在的理解というタームは、これまで明確に定義されたことがなく、曖昧で多義的な内容として捉えられてきた経緯がある。本稿は、内在的理解というアプローチを、宗教者の主観によりそって理解しようとする立場であり、その立場に基づいて当事者側の論理を発見しようとする方法、と捉えて議論の足場としたい。このように内在的理解を立場方法にわけて捉えた場合、宗社研の研究者の間では、立場(あるいは姿勢、方向性)の共有はなされていたが、方法論(あるいは研究視点、解釈の道具立て)のレベルでは十分な共通理解は得られていなかったといえる5。また、宗社研の解散後、会の一員であった島薗や島田裕巳等、幾人かの研究者が検討を加えているが、そこにおいても、議論の主眼は立場の問題に置かれていたように思われる6。例えば、文献研究と調査研究、あるいは、教祖、教義、教団、信者等、研究のやり方や対象によって当然、採られる方法は異なっているが、立場の文脈においては(実際に採られた方法の問題は)混同して議論が進められている。内在的理解を、ただ単に教祖や信者の立場に立つことによって達成できてしまうと考えると、研究者の様々な恣意が入り込んだ説得性のない研究に陥ってしまう危険性があるだろう7。宗教体験を支える文化的背景や社会的背景の分析に留まらないアプローチが可能であるためには、どのような方法が採用される必要があるのか、具体的には、どのような研究視点、解釈の道具立てが要請されるのか。この問題を本稿では、考察の対象を教祖研究という特定の研究領域に限定し、そこで内在的理解を達成した代表的成果として評価されている島薗進の「中山みき研究」を取り上げて検討を加えたい。では以下に、内在的理解の方法を具体的な作品から剔出する作業に取りかかりたい。

2.中山みきの「神懸かり」を巡って

 島薗の内在的理解の代表的作品とされているのは、天理教の教祖である中山みきを扱った「神がかりから救けまで」「疑いと信仰の間」という2つの論文である8。この2編は、連続した内容の前半部と後半部をなしており、研究の目的も方法も一貫している。その意味では、この2編を同一のテクストとして扱うことが可能である。
 この2編の研究の目的は、極めて独自の宗教思想である天理教が、いつどこで生み出されたか、また、同時代の宗教観念や精神構造の水準を超えたのは如何なる理由によっていたのか、これを明らかにすることにある。そしてこの2作品の主旨は、それまでの教団の公式的教義(中山正善の影響が強い)と、先行する研究者が依って立っていた「突発説(中山みきの神懸かりを天理教発生の決定的出発点と捉える立場・説明)」を批判し、みきが神懸かりの際に発した言葉、並びにその後の彼女の行動を人間一般の諸行動の延長線上に理解し、天理教の発生を非突発的に捉え返すことにある。この立場から島薗は、「みきの信仰は突然の悟りや超自然力の介入によってもたらされたのではなく、徹底した孤独な問いかけ(神懸かり以後、十数年に渡って教えが説かれていないばかりか、数度彼女は自殺を試み、また内ぐらに籠もるという特異な行動を採っている: 筆者註)と生活のゆっくりした歩み(最初の救け──おびや許し──を行うのは神懸かり後15年以上を経てからであり、また、その10年後になって信徒集団らしきものが形成されている: 筆者註)によって徐々に形成されたものであり、そのことが疑いや絶望に絶えうる(天理教という思想の:筆者註)強靱さと奥深さをつくりあげた」と結論づけている。
 筆者の観点では、この論文、特に前半部において重要な論点となっているのが、1. 神懸かり以前のみきを取り巻く状況の捉え方、2. 神懸かりの際に発せられた言葉の(内面的)意図の理解、3. それに対する周囲の人々──特に寄加持を行った際、みきに降りた神を同定しえなかった山伏市兵衛と「神のやしろにみきを貰い受けたい」という欲求を受け入れた夫善兵衛──の反応の解釈である。
 まず、1点目の状況把握から検討していきたい。島薗の研究において非常に大きな特色となっているのが、歴史学的な意味における客観的な状況把握の作業に力点を置かないことである。つまり、具体的には北大和地域における産業構造、景気の動向把握、民間信仰や「ええじゃないか」の経路等、産業・経済や文化・風俗的状況の把握にほとんど労力が割かれないことである。これは、高木宏夫、村上重良等の先行研究においては、非常に重視されていたポイントであり9、換言すれば、これらの諸条件の把握によって、かなりの程度、みきと彼女を取り巻く人々の状況と心理が推測可能になると方法論的に設定された研究視点である。これは、人間行動の被規定性の把握に対して「生産」の側面をさほど重視しない、あるいは、歴史的主体の生の把握において地域レベルの産業・経済的、文化・風俗的土台の把握に重きを置かない、つまり、マルクス主義的な研究法、あるいは広義の機能主義的な人間理解に距離を置いていることを意味している.... →続きを読む(頒布案内)

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  1. [井上,1992]を参照のこと。[→戻る
  2. 新宗教研究の「戦略高地性」については[西山,1992]を参照のこと。[→戻る
  3. 宗教体験へ様々な理論的立場から接近した成果には、例えば[脇本・柳川編,1992]が挙げられる。[→戻る
  4. 内在的理解の語は、[宗教社会学研究会編,1980]並びに[島薗,1992]を参照のこと。なお、宗教社会学のアプローチの変遷については、[井上編,1994][寺田,2000]等を参照のこと。また、宗社研以前の世代の宗教理解についての議論は、「共感的デタッチメントsympathetic detachment」をめぐる、ウィルソン、ブライアン・森岡清美・赤池憲昭・スィンゲドー、ヤン・荒木美智雄・島薗進による「特集・科学的宗教研究の問われているもの」(『東洋学術研究』20巻2号、1981、東洋哲学研究所2-82)の議論を参照のこと。[→戻る
  5. [宗教社会学研究会編,1992]における孝本貢、中野毅、鎌田東二、島田裕巳、大塚和夫、望月哲也等の発言を参照のこと。[→戻る
  6. 以上は、前掲の[島薗,1992]、並びに[島田,1994][大谷,1995][角田,1998]を念頭に置いている。[島薗,1992]は、自身の研究を回顧しつつ、内在的理解のアプローチを包括的に論じた内容だが、文献研究と調査研究を同時に論じており、具体的な方法論の問題は断片的に論及されているに過ぎない。この論考における断片的な指摘を跡づける作業が本稿の目的の1つである。[島田,1994]は、島薗の研究を検討した先駆的な業績である。そこでは、初期の研究(天理教と金光教の教祖研究)とその後の研究の間に「変容」が見られることが指摘されている。しかし、この指摘は対象を異にする研究を同じ内在的理解のアプローチとして論じていることに帰因しているように思われる。島田の論考は、内在的理解が「変容」を来した要因の解明に議論の主眼を置いており、高い評価を与えている初期の教祖研究については、「詳細で緻密」「フロイト的」「文学的」というコメントが加えられているに過ぎない。[角田,1998]は、[島薗,1992]を下敷きに議論をより広い理解一般の問題に拡張させているが、ここでも議論の主眼は立場性の問題に置かれ、対象の差異による具体的な方法論の違いへは論及がなされていない。[大谷,1995]は内在的理解に基づく作品からではなく、これにメタ的な考察を加えた[島薗,1992]を更にメタ的な次元で論じているところに特徴がある。筆者は大谷の研究から多くを学んだが、この議論については若干の疑問も持っている。それは、宗教社会学への「現象学的社会学」の受容と内在的理解の関係についての問題である。筆者は、現象学的社会学を含めた広義の意味学派や構造主義などの新たな思想潮流が、宗社研の認識論的視座に影響を与えた事実に関しては首肯するが、具体的な方法論の析出の問題については別の理論的インパクトを考えている。これを以下に論じていきたい。なお、筆者は、経験研究の領域において現象学的社会学のインパクトをダイレクトに受けているのは、中沢新一や島田等による「体験的身体的理解」の研究群であったと捉えている。[→戻る
  7. 以上の指摘は、[藤井,1992]を受けている。藤井は、内在的理解の代表的論者として安丸良夫を取り上げ、具体的な経験研究の成果から研究方法を剔出した研究を行っている。そこではマルクスの理論を発展させたアプローチが剔出されているが、本稿で論じる島薗の方法は、藤井が明らかにした安丸の方法とは異なっている。本稿の以下の議論を参照のこと。[→戻る
  8. 以下に検討するのは、[島薗,1977; 1978]である。この研究の評価については、島薗自身による[島薗,1992]の他に、前掲の[島田,1992][西山,1992]等を参照のこと。島薗には、[島薗,1979; 1980; 1988; 1992b; 1994; 1999]等といった教祖研究があるが、内在的理解の代表的作品として評価されているのは、[島薗,1977;1978]である。なお、天理教の研究史は、[井上ほか,1981][井上ほか,1996]を参照のこと。島薗の近年の天理教研究には[島薗,1998]がある。[→戻る
  9. [高木,1954][村上,1963]を参照のこと。ただし、島薗論文は、この作業に力点を置かないことが重要であり、作業の意義を否定しているわけではない。これらの研究成果を十分に踏まえつつ、新たな解釈を行ったところに特徴がある。ちなみに村上の研究においても、「みきの神がかりを準備したものが、もっぱら家族の問題から来る精神的苦痛と生理的苦痛であって、生活の困窮・貧苦ではなかった」ということは言及されている[村上,1963: 107]。[→戻る

文献

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1992 『現代宗教学1 宗教体験への接近』東京大学出版会.
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