【1】本書の位置づけ
[1]報告者の研究テーマ
・近代日本の宗教運動(とくに法華・日蓮系の仏教運動)の社会学的研究。
(1)「近代化と日蓮仏教」という問題系[1]。
(2)宗教運動の社会的な構築過程の分析。
[2]本書の成り立ち
・1920年代の田中智学の宗教運動をまとめた修士論文[大谷 1994]以降、田中智学の宗教運動の分析[1995a;1995b;1995c]、本多日生の宗教運動の分析[1996]をへて、1880〜1920年代における両者の宗教運動をまとめた学位論文[1999]を提出。
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・この[1999]をリライトして、本書[2001]を刊行した。リライトの際、[1999]の「分析枠組と問 題設定」を短縮し、本文の一部を削った。しかし、(分析枠組も含めて)大きな修正・変更はない。
←なお、本書[2001]に先立ち、構築主義的アプローチを用いて、日蓮主義運動の社会的な構築過程 を分析した[2000]を公刊したが、執筆は[2001]の方が先行している。
【2】本書のテーマと構成
[1]本書のテーマ
・近代日本の歴史的・社会的文脈における田中智学[2](1861-1939)と本多日生[3](1867-1931)の日蓮主義運動の展開過程の実証的な研究。
・日蓮主義運動の定義[4]。「第二次世界大戦前の日本において、『法華経』にもとづく仏教的な政教一致(法 国冥合・王仏冥合や立正安国)による日本統合(一国同帰)と世界統一(一天四海皆帰妙法)の実現による理想世界(仏国土)の達成をめざして、社会的・政治的な志向性をもって展開された仏教系宗教運動である」[大谷 2001:15]。
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・「近代日本の日蓮主義運動は、国体神話を媒介として国民国家との交渉を図り、法国冥合(政教一致)をめざした」[403]という結論。
・本書の二大テーマとして、
(1) 近代日本の「国家と宗教」の関係(政教関係)と
(2)日蓮主義運動の運動的特徴の分析。[3]
(1)近代日本の「国家と宗教」の問題系から「国体神話と宗教」の問題系へ
・「国家と宗教」の問題系に関する重要な研究領域として、いわゆる国家神道研究があり、とくに制度史的な観点から研究されてきた[5]。「国家神道」とは—藤谷や村上によれば—神社制度(神社神道)と宮中祭祀(皇室神道)、帝国憲法と教育勅語にもとづく天皇制イデオロギーから構成されているとされた。
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・本書では国家神道の制度的側面(制度としての国家神道)ではなく、イデオロギー的側面(政治文化としての国体神話)に焦点をあてる。「国体神話」とは、「天皇の権威(にもとづく近代天皇制)の正当性を基礎づけ、近代日本の国家体制を正当化するための知識体系であり、近代日本の政治文化である。」[5]
→「国体神話によって基礎づけられた近代天皇制とは、古い伝統の名のもとにネーション(国民・民族)と近代国家の構築を担った「創られた伝統」であり、この「創られた伝統」を基軸として、国民国家「日本」という「想像の共同体」が構築されていった。」[同]
(2)近代日本の「国体神話と宗教」の問題系
・加藤玄智[1935]による「国家的神道」(「国体神道」と「神社神道」)と「宗派的神道」の区別、W・P・ウッダード[1972=1988]による「神社神道」「国家神道(国家的神道)」「国体神道」「教派神道」「国体のカルト」の区別、西山茂[1998b]による「神社中心の国家神道」と「国民的天皇崇拝儀礼」の区別。
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・加藤、ウッダード、西山によって指摘された国体神話という知識と、その知識をめぐる儀礼や行事との関連から、近代日本の「国家と宗教」の問題系を、「国体神話と宗教」の問題系に敷衍しながら検討した。
(3)文化資源としての国体神話
・西山[1998:8]の次の発言に注目されたい。
→「国民的天皇崇拝儀礼が義務教育を通して国民のなかに広く深く浸透した明治末・大正期以降になると、天皇崇拝的な要素を自らの信行体系の中核に取り込んだ新しい宗教運動が台頭してくる。田中智學の国体論的日蓮主義や出口王仁三郎の皇道大本の運動がそれにあたる。」[6]
・対馬路人[1985]は、大正期から戦後初期までの大本・天理本道・璽宇などの「終末預言宗教」が活性化した重要な要因として、国体神話の問題を次のように指摘。天津日嗣=現人神信仰が国民に浸透し、超越者によるこの世(日本)の支配というイメージが流布したことで、救世主の観念がある程度のリアリティをもって受容される心理的基礎を提供したこと、記紀神話が歴史として強調されたことで、民族や国家の歴史を宗教的・神話的な視角からとらえる宗教的な歴史観を喚起したこと、さらにそうしたイメージの流布や関心の喚起が、当時の歴史的な危機に対する神義論的な疑問を生じさせることになったこと。こうした神義論的な疑問は公的な神話体系としての記紀神話では充分に応えられず、「終末預言宗教」の活性化とその幅広い受容をもたらしたとのべている。
↓
・とくに大本や天理本道の神話(教義)が「疑似記紀神話的枠組のなかで再編成された」という指摘の重要性。「終末預言宗教」は、「何らかのかたちで体制イデオロギーの枠を借りつつ」構想された。「現実の天皇(制)と理想の天皇(制)との間の激しい緊張」の表象。「天皇制に対する屈折した両義性」。栗原も同様の指摘。西山も日蓮主義について同じように分析している。
・これらの研究では宗教教団が国体神話を自らの教義・実践体系の中核に組み込み、記紀神話の援用しながら、「現実の天皇(制)」に「理想の天皇(制)」を対置しながら自らの運動を展開していったことが論じられている。そして、これらの宗教運動の時代社会的な背景には、国体神話の信憑構造があった。
→つまり、国体神話の信憑構造を背景として、国体神話という文化資源を用いて自分たちの教義・実践体系を整備し、その教義・実践体系によって意味付与・解釈された国体論的な言説によって、布教・教化活動を展開した。
↓
・「現実の天皇(制)」に対する「理想の天皇(制)」の対置。近代日本国家の支配の正当性へのシンボリックな反抗/補強、社会秩序に対する挑戦/その統合。
近代日本国家の正当性への反抗/補強
↑ ↑ ↑ ↑
国体論的日蓮主義運動(→国体論的な言説による布教・教化活動) ↑ ↑ ↑ ↑ 日蓮主義運動(←文化資源としての国体神話) |
↑ ↑ ↑ ↑
国体神話の信憑構造
[2]本書の構成
・智学と日生の日蓮主義運動は、『法華経』にもとづく「法国冥合」(政教一致)の実現による理想世界の達成を究極的な目的として展開された。1880〜90年代には日蓮門下教団の改革による「あるべき日蓮教団」をめざす運動として出発し、日露戦争(1904〜5年)前後の1900年代を境として、1910〜20年代には「あるべき日本」の実現による日本統合と世界統一の達成をめざすナショナリスティック(国家主義的・民族主義的)な運動として展開されたという共通点をもっている。このような宗教運動を、在家教団の立場から組織したのが智学であり、伝統教団の立場から組織したのが日生であった[大谷 2001:4]。
<第一部>日蓮門下教団の改革/統合運動の展開(1880〜1900年代)
・運動目標としての「あるべき日蓮教団」。国民国家形成期の政教関係の変動に対する応答。
・日蓮開宗650年紀念大会(1902年)
・日露戦争を境として、運動方針の転回。
<第二部>日蓮主義と国体神話の交渉(1910年代)
・国体神話の信憑構造の形成。
・状況適合的な布教・教化戦略(「第一義悉檀」から「世界悉檀」へ)。
・国体神話を日蓮主義運動の教義・実践体系の中に位置づけていく。
・1910年前後から20年代初頭にかけて、「日蓮主義の黄金時代」(戸頃重基)。
<第三部>国体論的日蓮主義運動の展開(1920年代)
・運動目標としての「あるべき日本」。その実現をめざした国体論的日蓮主義運動の展開。
・背景としての国体神話の信憑構造の動揺。
・立正大師諡号宣下(1922年)や明治節の制定(1927年)、そして文部省による教化総動員(1929年)による「国家と日蓮主義」との公的な交渉。
【参考文献】
B. アンダーソン 1983=1987『想像の共同体—ナショナリズムの起源と流行』(白石隆・白石さや訳)、リブロポート
P. L. バーガー 1966=1979 『聖なる天蓋—神聖世界の社会学』(園田稔訳)、新曜社
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藤谷俊雄 1959 「国家神道の成立」(『日本宗教史講座第一巻 国家と宗教』三一書房)
羽賀祥二 1994 『明治維新と宗教』筑摩書房
E・ホブズボーム& T・ランガー編 1992(1983) 『創られた伝統』(前川啓治他訳)紀伊国屋書店
加藤玄智 1935 『神道の宗教発達史的研究』中文館書店
栗原 彬 1976 「1930年代の社会意識と大本−社会不安と両義性の宗教」(『思想』624号)
宮地正人 1981 『天皇制の政治史的研究』校倉書房
宮地正人 1988 「国家神道形成過程の問題点」(安丸良夫・宮地編『日本近代思想大系5
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宮地正人 1992 「国家神道の確立過程」(國學院大學日本文化研究所編『近代天皇制と宗教的権威』同朋社出版)
村上重良 1970 『国家神道』岩波書店
村上重良 1974 『慰霊と招魂—靖国の思想』岩波書店
村上重良 1977 『天皇の祭祀』岩波書店
村上重良 1982 『国家神道と民衆宗教』吉川弘文館
村上重良 1986 『天皇制国家と宗教』日本評論社
中島三千男 1976 「大日本帝国憲法第二八条『信仰自由』規定成立の前史—政府官僚の憲法草案を中心に」(『日本史研究』168号)
中島三千男 1977 「『明治憲法体制』の確立と国家のイデオロギー政策—国家神道体制の確立過程」(『日本史研究』176号)
内藤莞爾 1941 「宗教と経済倫理—浄土真宗と近江商人」(『年報社会学』8号)
西山 茂 1985 「日本の近・現代における国体論的日蓮主義の展開」(『東洋大学社会学部紀要』22巻2号)
西山 茂 1988 「日蓮主義の展開と日本国体論−日本の近・現代における法華的国体信仰の軌跡」(孝本貢編『論集日本仏教史9
大正・昭和時代』雄山閣])
西山 茂 1989 「宗教運動にみるユートピアとエクスタシーの相関—仏立講・国柱会・創価学会の事例研究」(中牧弘允編『現代日本の“神話”』ドメス出版)
西山 茂 1990 「日本の近代と仏教−田中智学の日本国体論を中心に」(『月刊アーガマ』107号)
西山 茂 1995 「近代の日蓮主義−『賢王』信仰の軌跡」(『日本の仏教』4号)
西山 茂 1998 「近代仏教研究の宗教社会学的諸課題」(『近代仏教』5号)
新田 均 1997 『近代政教関係の基礎的研究』大明堂
小笠原真 1994 『近代化と宗教—マックス・ヴェーバーと日本』世界思想社
大谷栄一 1994 「近代天皇制国家と日蓮主義運動−とくに1920年代の国柱会の運動を中心に」(1993年度東洋大学大学院社会学研究科社会学専攻修士論文)
大谷栄一 1995a 「1920年代の田中智学の国体論的日蓮主義運動−近代日本の『国家と宗教』の問題系」(『東洋大学大学院紀要』第31集)
大谷栄一 1995年b
「一九二〇年代における田中智学の日蓮主義運動をめぐって−運動としての『法国冥合』のパースペクティヴ」(『日本近代仏教史研究』第2号)
大谷栄一 1995年c 「近代天皇制国家と仏教的政教一致運動−田中智学の国体論的日蓮主義運動の場合」(『年報社会学論集』第8号)
大谷栄一 1996 「本多日生の統一的日蓮主義運動−とくに1910〜1920年代の社会教化活動を中心に」(『宗教と社会』第2号)
大谷栄一 1999 「近代日本の『国家と宗教』の研究−1880〜1920年代の日蓮主義運動の場合」(学位論文、東洋大学
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大谷栄一 2000 「近代仏教運運動の布教戦略−戦前期日本の日蓮主義運動の場合」(大谷栄一・川又俊則菊池裕生編著『構築される信念−宗教社会学のアクチュアリティを求めて』ハーベスト社)
大谷栄一 2001 『近代日本の日蓮主義運動』法蔵館
坂本是丸 1993 『明治維新と国学者』大明堂
坂本是丸 1994 『国家神道形成過程の研究』岩波書店
島薗 進 1992 『現代救済宗教論』青弓社
対馬路人 1985 「終末預言宗教の系譜−日本の新宗教を中心として」(『真理と創造』24号)
対馬路人 1986 「運動体としての千年王国主義−戦前〜戦後初期の新宗教を中心として」(『現代社会学21』12巻1号)
対馬路人 1988 「新宗教における天皇観と世直し観−新政龍神会の場合」(孝本貢編『論集日本仏教史9
大正・昭和時代』雄山閣])
対馬路人 1991 「敗戦と世直し—璽宇の千年王国思想と運動(1)」(『関西学院大学社会学部紀要』63号)
対馬路人 1992 「大正・昭和前期の新宗教と国家−立て替え立て直しをめぐる宗教的緊張」(国学院大学日本文化研究所編『近代天皇制と宗教的権威』同朋社出版)
対馬路人 2000 同「敗戦と世直し—璽宇の千年王国思想と運動(2)」(『同上』87号)
W. P. ウッダード 1972=1988 『天皇と神道』(阿部美哉訳)、サイマル出版会
山口輝臣 1999 『明治国家と宗教』東京大学出版会
安丸良夫 1974(1999) 『日本の近代化と民衆思想』平凡社
安丸良夫 1979 『神々の明治維新』岩波書店
安丸良夫 1988 「近代転換期における宗教と国家」(安丸・宮地編『日本近代思想大系5 宗教と国家』岩波書店)
安丸良夫 1992 『近代天皇像の形成』岩波書店
[1] 日本における「近代化と宗教」の問題系については、内藤莞爾[1941]をはじめ、R・N・ベラー[1957=1996]や島薗進「日本の近代化と民衆宗教」[1992所収]などがある(安丸良夫[1974(1999)]も参考になる)。
この日本の「近代化と宗教」の問題系に関する研究(史)については、小笠原真[1994]に詳しい。ちなみに、小笠原は「あとがき」の中で、戸頃重基が「『近代社会と日蓮主義』(評論社、1972年)で究明した「近代社会と日蓮主義」も、ぜひ取り上げなければならなかったが、それも出来なかった」[251]とのべており、「近代化と日蓮仏教(日蓮主義)」の問題系が今後の課題であることを指摘している。
なお、島薗は[1992]の「第5章 権威の危機と法華系新宗教」で、法華系新宗教は「長い歴史をもち、過去の遺産を背負う仏教の伝統を継承しながら、近代の権威の危機に対して積極的に応答することができた流れを代表する」[104]という観点から、1860年代から1970年にかけての「法華系新宗教」(とくに霊友会系諸教団と創価学会)の展開を検討している。また、西山茂[1989]は、宗教運動におけるユートピア志向性とエクスタシー志向性の相関を、近・現代日本社会における「日蓮仏教系の宗教運動」(本門佛立講・国柱会・創価学会)を取り上げ論じており、これらの研究が「近代化と日蓮仏教」の問題系を考察する示唆を与えてくれる。
[2] 在家仏教教団・国柱会の創始者である田中智学は1880年(明治13)に横浜で蓮華会を創設し、1884年(明治17)に東京で立正安国会を結成。1914年(大正3)に国柱会として組織を再編し、その生涯を通じて在家仏教運動を実践した。智学の日蓮主義運動は、独自の国体論である「日本国体学」を創唱する1903年(明治36)を境として、1880〜1900年代(明治期)の「宗門革命・祖道復古」を掲げた日蓮宗門改革運動、1910〜30年代(大正・昭和初期)の国体運動(「国体観念の自覚」を訴えた精神教化運動)を中心として展開された[大谷 2001:3]。
[3] 顕本法華宗(日蓮門下教団の一宗派)の管長を務めた本多日生は13歳で得度し、のちに日蓮宗妙満寺派(1898年に顕本法華宗に改称)の要職につき活躍した。1880〜90年代には宗派内改革を断行し、1896年(明治29)に結成した統一団を活動基盤として、1900年代には日蓮門下統合運動を中心的に牽引。日露戦争後には積極的に社会的な発言をし、感化救済事業や地方改良運動にもコミットしている。1910〜20年代には天晴会や地明会などの研究団体を通じて、日蓮主義の布教・教化活動を行い、さらに自慶会や知法思国会などの教化団体を結成して、活発な国民教化運動を展開した[2001:3]。
[4] 報告者は、近代以降の法華・日蓮系の宗教運動を包括するカテゴリーとして、「近代法華仏教運動」という概念を提示した[2001:15]。これは、伝統教団としての日蓮門下各宗派から、智学と日生が組織した運動体、さらに本門仏立講から霊友会系諸教団、創価学会などの法華系新宗教教団の諸運動を包括するカテゴリーであり、この近代法華仏教運動の下位カテゴリーとして日蓮主義運動を位置づけ、法華系新宗教と区別した。
[5] おもな成果として、藤谷俊雄[1959]や村上重良[1790;1974;1977;1982;1986]の国家神道研究、中島三千男[1976;1977]、坂本是丸[1993;1994]、羽賀祥二[1994]、新田均[1997]、山口輝臣[1999]らの制度史的研究、宮地正人[1981;1988;1992]の政治史的研究、安丸良夫[1979;1988;1992]の思想史・精神史的研究などがある。
[6] 田中智学の日蓮主義運動を論じた西山[1985;1988;1990;1995]、1930年代の大本による昭和神聖会の運動を論じた栗原彬[1976]を見よ。また、大本や天理本道、璽宇、そして神政龍神会の疑似天皇制的・疑似記紀神話的性格を論じた対馬路人[1985;1988;1991;1992;2000]の研究が参考になる。